東大生が京大生に憧れた話

自分にとって全カレは、競技に取り組む過程でたまたま手が届いた大会ではない。それは大学に入ってから箱根の次に出たいと心から願っていた大会だ。

 

 

全カレに出たいと強く思うようになったきっかけとなった選手がいる。京都大学の平井健太郎さんだ。

 

平井健太郎さんは京都大学在籍時の2014年、全カレ10000mで留学生選手と優勝争いを繰り広げ、僅差で2位に入った。当時高校3年生で部活を引退して間もなかった私は、毎月の楽しみだった陸上競技マガジンをぱらぱらとめくる中で、大きな記事の中に書かれる「京都大学」の文字に目を奪われた。記事を書く記者の好奇と興奮がビリビリと伝わってくるような記事だった。

京都大学」も「東京大学」も、陸マガの大記事の常連客ではない。まして天下の京都大学だ。実力の伴わない東大受験に挑戦していた私には、東大と肩を並べる存在である京大がどれほど入るのが難しい大学か、その輪郭はおぼろげながら感じていた。

入るのも困難な大学で、駅伝強豪校の選手を差し置いて全国優勝争いをする。中高で自分なりに必死に練習してもやっとこさ全国に出れるレベルになれた程度、学力もまだまだ最難関大の足元にも及ばない程度の自分にとって、平井さんはフィクションの世界から飛び出してきたような存在だった。強さと賢さを両方兼ね備えた理想の競技者の姿をそのまま体現した人間が、同じ時代、同じ世界に実在していることに衝撃を受けた。もしその時胡散臭いカルト宗教に胡散臭い勧誘文句を聞かされていたら、信じて加入していたかもしれない。

平井さんは記事の向こう側から、私が進む道に輪郭と奥行きを与えてくれた。可能性で枠づけられた輪郭と、チャレンジと困難さで掘り進められた奥行きだ。箱根駅伝にしか興味がなかった私だが、東大で全カレにも出場して活躍したい、と強く思うようになった。これは自分に与えられた使命だと勝手に思い込んだ。私の全カレへの道は平井さんによって導かれたと言っても過言ではない。

 

全カレを目指す中でずっと追いかけ続けてきた影は、今の自分には到底手が届かない遠い先にある。手が届くまでずっと追いかけ続けたくもあるが、そうも言っていられないのが学生スポーツだ。これが最初で最後の全カレである以上、レースが終わってしまえばもう「全カレで平井さんを超える結果を出す」という目標を達成することはできない。未完成のパズルを置き去りに、新しいパズルの完成に向けて前を向くことしかできない。

それでもー理想の姿になれなくてもー自分が東大生として全国で強豪校の選手と共に走る姿を見せることで、どこか知らない土地の知らない人に何かを感じ取ってもらえたらと願う。自分には他人に衝撃を与えるほどの実力も影響力もないので、こんな思いは自惚れかもしれない。それでも、自分が平井さんに影響を受けたように自分も誰かに影響を与えたい、という自惚れにも似た思いが自分に力を与えるのであれば、私は自惚れることをやめない。

 

進む先にある自分自身の目標に少しでも近づくと同時に、自分の後ろにある進んできた道程が他人にとっても意味のあるものになるような、そんなレースができればと思う。