9/17(金)全日本インカレ10000m反省

【結果】

29’38”81 2nd Best 15着

 

5000mlap; 14’33-15’05

1000mlap; 2’53-2’53-2’54-2’53-2’58-2’53-2’58-3’04-3’07-3’02

 

【練習の振り返り】

(ポイント練習のみ)

7/22 クロカン20k

7/23 400*15(r200) 71~72”

7/24 クロカン14k

7/30 6400m変化走 3000m:9’02-3000m:10’36-400m:71”

8/1 ロング走21k(avg4’30)

8/5 ロング走23k(avg4’24)

8/7 (1000+1000)*10+1000 (3’10+3’40)*5-(3’05+3’40)*5-2’45

8/8 12kPR 3’40

8/9 クロカン25k(avg4’13)

8/10 400*5*3(r200,setr400) 72”~68” +6000PR(3’30)

8/13 2k*3(r2’) 6’50

8/19 400m変化走*8(200m:34”-200m:46”)

8/24 2000*3(r2’) 7’10 +6000PR(3’30)

8/25 1200*3(R7’) 3’19-3’17-3’17

8/28 3000mTT(8’27)+5000PR(3’25)

8/31 400*7(r200) 65~64” /1500*4(4’44-4’50-4’30-4’09)

9/7 2000*4(r400) 5’56-5’53-5’53-5’53

9/11 5000+3200+1000 (16’15-9’34-2’58)

9/14 1000*3(r400) 2’54-2’51-2’52

 

〇時期的位置づけと練習計画

元々10月以降の秋冬シーズンを見据え、7月下旬~9月中旬は秋以降に向けたベースアップの時期として位置付けていた。その中で

7月下旬~8月上旬:量重視で出力を意識的に抑える(ジョグメイン、クロカン、ロング走、ロング変化走)

8月中旬~9月中旬:少しずつ出力を上げる(ショートインターバル、レぺ、TT)

の大きく二つの時期に分けて計画を組んだ。

 

ところで、今回の全カレはコロナ禍の影響でターゲットナンバーが定められ、狭き門がさらに狭まってしまったため、ギリギリB標準を切った程度の自分に全カレ出場権が与えられるとは全く思っていなかった。足切りされるのを承知の上でダメ元でエントリーしたら運良くターゲットナンバーギリギリで通過することができた。

出場が決まったのはレース2週間前だったため、当初の計画を前倒しして急ピッチでレースに向けて仕上げていくことになった。地力の高さと直前の調整力を試される状況だった

 

〇計画の結果と反省

計画の消化率は7割程度。

疲労状況を楽観視していた

・ワクチンと気候変動による体調不良(トータル1週間程度)

・左外頸骨の古傷の悪化(断続的)

の主に3つが影響した。

1つ目は計画を立てる時点でのミスではあるが、そのほかの2つは(ワクチンの副反応は読めないが)計画遂行の中で多少は防ぎようのあるミスだった。計画の9割程度は達成して然るべきだったと思う。

 

短期集中で練習を詰め込む時期を2回ほど設けた。事前の計画では詰め込みの後は疲労とうまく付き合いながら軽めのポイ練とジョグでつなぎ、1週間ほどで立て直してポイ練の強度を戻していく想定だった。だが、想定よりも疲労がうまく抜けずにポイ練を回避し、ジョグの量も減らす結果になってしまった。疲労を抜く技術と努力が不足していた

 

7月末はワクチンの副作用で、8月中旬は急激に涼しくなった影響で体調が優れず、ジョグもまともに積めない空白の時期が生まれた。ワクチンは読めないので仕方のない部分はあるが、季節の変わり目の体調不良は自己管理不足が露呈した。

 

9月頭には7~8月にクロカンをガンガン走った頃から気になっていた左外頸骨の古傷が痛み出し、付随して左の腓腹筋も痛めてしまい、ノーラン4日、前後の様子見の軽いジョグで3日の計1週間ほど対応に時間を取った。クロカンを走る量と頻度が外頸骨のキャパを超えていたことが一因としてある。また、外頸骨が痛む根本的な誘発因子が何なのか、痛むのを防ぐためにはどの筋肉を鍛える必要があるのか・動きを変える必要があるのかを追究できていないことも、今回レース前の大事な時期に余計な時間を要してしまう結果につながった。

 

7月末~9月頭の計画消化率はイマイチだったものの、レースに向けて仕上げることになってからの調整はうまくいったと思う。レース6日前はキロ3で3000mを走るのでも精一杯だったことを考えると、今回のレースは練習の成果を十分に発揮した結果だったと評価している。

 

【レース内容と振り返り】

6400m辺りまでは第2集団にピッタリくっついてレースを進めた。4000~5000mで集団のリズムが少し落ちた後、5000~6000mで再び1周69秒のリズムに上がったところで脚を使ってしまい、6400m辺りから集団から離れ始めた。7000m辺りまではじわじわ差を広げられつつも何とか粘れたが、徐々にリズムを保つことが難しくなり、3’04-3’07-3’01と尻切れトンボでレースが終わった。終盤は全く良いところがなかった。

 

2’53ペースが思った以上に楽だった。6000mまでは1周69秒のリズムを保つのがそれほど苦ではなく、余裕をもって走れるペースが向上していることを実感した。ただ、きついと感じ始めてからの落ち幅はPB(29’20”8)を出した時よりも大きかったように思う。今回の仕上がりだと最適なペース配分はキロ2’56(=ゴールタイム29’20)だったと思うが、そのペースの集団はなかったことを考えると、第2集団の2’53ペースについていくのが今回の最適解だった。レースの運び方に誤りはなかったと思う。8000mまでついていくことができれば一瞬でも日本人トップ争いに加われたかと思うと悔しい気持ちになる。

 

【今後】

箱根駅伝が終わった後、次に見据えた目標である「大学院で全カレ出場」を達成することができ、とりあえずは満足している。次は学生のうちに5000m13分台、10000m28分台を出すことを目標に、残りの学生陸上に取り組んでいく。

 

今回中盤までついていた第2集団は28’50~29’00辺りで固まってゴールした。28分台を出すにはあの集団に最後までついていく必要があると考えると、28分台にはまだだいぶ距離があると感じる

HIITが足りず乳酸を生成する能力が不足していたことが後半失速の一因であると考えられる。来月の箱根予選会と秋冬の記録会に向けてHIITに重点的に取り組んでいけば13分台と28分台に近づけるかもしれない。

 

今日は絆記録挑戦会の5000mに出場する。全カレに向けて上げた調子はまだ維持できていると感じるので、2’48前後でレースを進めて自己ベスト(14’05”87)更新、最低限14’15でまとめたい。