7/4(日)岩手県選手権5000m反省

【結果】

5000m 14’29”81 優勝

1000mlap: 2’49-2’55-2’55-2’59-2’49

 

10000mと合わせて2冠を達成しました。

 

【目標】

優勝、2冠達成

 

優勝にこだわっていた理由は3つ、

①就職後、走れる?

 来年就職してから、県選で優勝を狙うだけのトレーニングができるか全くわかりません。ジョグはかろうじてできるかもしれないし、あるいはジョグすらできないかもしれない。環境が変わっても自分がやりたいことを続けられるかということに対する一抹の不安が優勝への思いを強くしました。

 

②一般を含めた「名目上の」県No.1を決める大会

 中学・高校と県大会で何度か優勝を経験してきました。ただ、それは「中学生」「高校生」という限定されたカテゴリーでのNo.1を経験したにすぎません。一人の長距離選手としては、世代の垣根を越えた真のNo.1になりたいという気持ちをずっと持ち続けてきました。

 岩手県出身の選手が全て一堂に会するわけではないので、「名目上の」県No.1を決める大会、という言い方にはなりますが、名目上であれ何であれその称号を得たい気持ちは強かったです。

 

③「東大生として」優勝することの意味

 箱根駅伝を経て、「東京大学」の肩書を持って大会で結果を出すことが見ている人に少なからずインパクトを与えることに気づきました。岩手県選手権に東大の選手が出場したことは過去を遡っても数える程度しかありません。県選手権においてある意味イレギュラーな存在である東大生が優勝すれば、県内の人に少なからずインパクトを与えることができるのではないか。

 強くなるためには強豪校に行かなければならない、難関大学に行くなら競技は諦めなければならない、受験と競技はトレードオフな関係で両立できない…。そういった固定観念は、最近では少しずつ解消されつつありますが、岩手県などの地方部ではまだ根強く残っているように感じます。

 これから様々な人生の選択をする中高生、あるいはまだ選択など先の小学生が、他人が作り上げた固定観念という幻想に縛られ、自ら選択肢を減らしてしまう状況は変えていく必要があると思います。東大生として県選で優勝することで、今自分が見ているよりも選択の幅は広い、ということに気づくきっかけを少しでも与えられれば、という思いを抱いていました。自惚れかもしれませんが。

 

【身体の状態】

 2日前に10000mを走っていたので臀部と肩甲骨周りに多少筋肉痛が残っていましたが、走ってみるとそれほど気にならず、むしろ全身に刺激が入って身体が動かしやすく感じました。5月の関カレでハーフ3日後の5000mも経験し何とかなったので怖いもの知らずです。

 2日前に微妙に嚙み合わなかった動き(接地のタイミング)もレース翌日時点でかなり修正されており、足先から頭の上まで、全身の動きに統一感を感じました。

 

【レース展開】

 10000mの疲労も考慮して後半まで前に出ないコバンザメプランを立てていましたが、自重しすぎてスタートで出遅れ、かなり後方から始めることに。ホームストレートで一気に先頭の後ろまで追い上げ、あとは一関学院の選手が数名で交代しながらペースを作る形をとっていたので、それにぴったりくっついて乗っかるだけでした。今季は14’10~20辺りでコンスタントに走れていることもあり、3000m通過8’30くらいまでは十分に対応できるようになったので、1周70秒ペースでついていく展開はかなり自分に有利でした。

 自己ベスト14’08を持つ高校生をずっとマークしていたところ、3000mを過ぎたあたりから徐々にペースが落ち始め、代わりにそのチームメイト(僕の8つ下!)が先頭に出て引っ張る展開に変わりました。途中4人だった先頭集団はここで2人に。コバンザメを演じ切る強い意志を持った私は、ラスト勝負にはあまり自信がないものの、前を走ってくれる8つ下の動きと表情に余裕がないと思い、ラスト1周の鐘の音が鳴ってもまだコバンザメを貫きました。ラスト300mで満を持して脱コバンザメ。意外と動きにキレがあり4秒ほど差をつけて勝つことができました。

 

【反省】

 とりあえず勝つことができて良かったです。多少の暑さも感じる時期に10000mと併せて2種目出場する日程は楽ではありませんでしたが、そのような日程と練習の流れの中で、14分半を切って勝てたことは素直に嬉しいです。昨年までの自分では取れない順位、出せない記録でした。

 条件が違うので単純比較はできませんが、上り調子だった5月の関カレ5000mが14分半でほぼ同タイムだったことを考えると、最近はそこまで調子が良いとは感じないものの、底上げと状態の改善が進んでいると思います。

 今回はペースを作ってもらって最後までついていくだけの展開でした。自分でペースを作って14分半を切っていた自信はありませんし、疲れたところで並ばれても勝ち切るだけの心の強さもありません。今回は完全に強い高校生に「胸を借りる」レースだったと思います。

 

【県選手権】

高校1年(2012/6/22-24)3000mSC 10’26”58 / 5000m(3000m9’45DQ)

高校2年(2013/6/21-23)5000m16’26”56 / 10000m不明

高校3年(2014/6/27-29)5000m14’50”96(2位) / 10000m30’51”69(3位)

浪人1年(2013)不出場

大学1年(2016/6/24-26)5000m14’53”35(4位) / 10000m31’52”26(2位)

大学2年(2017/7/7~9)5000m15’43”06 / 10000m34’08”21

大学3年(2018)不出場

大学4年(2019)不出場

院1年 (2020/7/24-26)10000m33’37 / 5000mDNS

院2年 (2021/7/2-4)10000m30’57”97(1位)/ 5000m14’29”81(1位)

 

 改めて数えたら出場回数は7回でした。そこそこの結果を残せたのは高校3年と大学1年、それ以外は疲労骨折だったり重度の貧血だったりでボロボロな走りしかできていません。留学生選手に周回差をつけられて人生初の途中失格を食らった高校1年の県選は未だに脳裏に焼き付いています。

 こうして見返してみると、貧血持ちの自分にとって暑いこの時期の県選は鬼門でした。高校2年、大学2年、院1年は6月上旬までは練習はそこそこ積めて状態が良かったものの、暑くなりだしてから急激に調子が落ち始め、貧血の状態でいざスタートという状況。大学3年は春先の太もも疲労骨折の影響でスタートラインにすら立てませんでした。

 毎年体調管理に苦しみ貧血で調子が落ちる苦手なこの時期を克服して、結果を残すことができました。タイムは平凡ですが、少なからず成長した姿を故郷のレースで披露することができて嬉しいです。

 

【今後】

 2冠を達成して県選に心残りなし…となると思っていましたが、これを書いているときにはすでに2冠連覇に気持ちが向いている自分に驚いています。来年以降継続して出場できるかは読めないですが、何とか都合をつけてトレーニングを継続し、勝ちを重ねていきたいです。

 直近では今月下旬に関東学連の網走競技会(勝手に学連ディスタンスと呼んでいます)の10000mに出場します。今の自己ベスト(29’20”8)では全カレのターゲットナンバーではじかれてしまう可能性が高いので、28’50を記録して全カレ出場の可能性を少しでも高めたいです。